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『焼き物』


 僕にとって祖父とは「おそろしいもの」そのものだった。

 祖父は大きな窯を使っての全長2mをこす巨大な焼き物を作ることで名を馳せていた。焼き物が大きくなればなるほど、必要とされる土の厚さは増す。したがって熱伝導は非効率的になる。表面ばかりが焼け、芯の部分が焼けず、生の土のままに残ってしまう。そして窯の中で無惨に砕け散ってしまうのだ。それゆえ巨大な焼き物の製作は、その見た目の大きさとは正反対に繊細さを要求する作業となる。祖父はそんな焼き物をいくつも幾つも見事にモノにしていた。――理由などわからない。ただ、彼が何度もの試行錯誤を繰り返していたことは、屋敷の裏庭にうずたかく積み上げられていた、焼き物の破片から想像がついた。
 焼きあがったまだ熱を持ったままの作品を前にした祖父の恐ろしい姿が網膜に焼きついている。僕の目には窯の中で新生の産声を上げる諸々の焼き物は、みな美しく、素晴らしいものだった。高温に耐え、砕けることなく見事に焼きあがった焼き物の数々。だが、祖父はその一つ一つを取りだし、じっと冷酷とも思える眼差しをくれると、手にした金槌でその焼き物を粉々に砕いてしまうのである。僕の目にはどれも変わらず信じられないほど美しく見える焼き物の一つ一つを取りだし、祖父は、あるものは粉々に砕き、あるものは棚に、つまり完成品の一つとして並べるのだった。祖父の眼鏡にかなわなかったものは――どれも僕の目には見事な美術品とうつったのにもかかわらず、その創り主なる祖父の手によって産まれ出でたばかりのその瞬間に抹殺されてしまっていた。高温に耐え、形になったにもかかわらず、生きる価値無しと断言されて廃棄されていった。
 怖かった。自分はいずれに分類されるのか、そればかりを恐れていた。つまり「作品」として存在を許され、世にその存在を喧伝されるものなのか、それとも、失敗作として誰知らず、祖父の手によって自分を形作った、まさにその当人である祖父の手によって砕かれ、塵芥として誰の目もひかず、裏庭のかけらの山の一部となるのか。窯を前にしての祖父の何処までも冷徹な瞳を見るたびに、僕は自分が祖父に砕かれてしまうことを恐れ、そして未だ砕かれていないことに安堵していた。

 ――「未だ」である。

 いつか、自分は窯から出され、祖父の裁きの時を待つのではないかと……そう恐れていた。ゆえに祖父の前で僕は善い子であろうとしつづけた。いたずらをした時には庭の梅の木に縛り付けられ、泣き疲れて眠ってしまったこともある。何処よりもの高みを見たいと屋敷の屋根に登って、1mの物差で尻を打たれたこともある。しかし、僕は少なくとも普段のそぶりにおいては善人でありつづけた。「僕は作品としてふさわしいものですよ。僕を砕くことなどしないで下さい」
 しかし……祖父がどのような基準で作品の善悪をはかるのか、僕には分からなかった。僕の見た目に美しいモノを祖父は打ち砕き、異形のものとしかうつらないモノに「銘」を与え、おのが作品としていた。ゆえに、僕にはあるべき自分の姿が分からなかった。分からないなりに、もっとも正しい姿を演じることで安心を得ようとしていた。行儀作法、言葉使い、行動の選択肢から、口のきき方まで、僕は正しいと思われることを行いつづけた。そうすれば、そうしつづければ、自分は砕かれる側になるのではなく「作品」として「銘」を与えられ、後世にまで残されるのだと信じて。

 幼年期は瞬く間に過ぎ、僕も少年期を迎えていた。祖父は老いさらばえ、工房はうずたかく積もったほこりに被われた。祖父が焼き物を砕く音は聞こえなくなって久しく、巨大な作品を作り上げていたその力強かった手はすっかり老齢によって細くなりきってしまっていた。……弱くなった祖父など見たくなかった。祖父は絶対の裁定者なのだから。

 そんなある晩のことだった。
 祖父の屋敷で火事があったと電話が告げた。父が慌てて車を出し、僕はその後部座席に座っていた。父は僕に車内にとどまるように指示し、遠目にも分かる真っ赤な空めがけて駆けていってしまった。取り残された僕は、ただ、じっとその赤を見つめていた。
 ――窯の色だ。
 そう思った。焼き物を生み出す窯の炎。それが窯からはみ出し、工房を包み、ついには祖父の屋敷全体を包んでしまったように見えた。
 ――焼いているのだ。
 誰が? 何を?
 と、唐突に父が車のドアを乱暴に開いた。
「ダメだった。おじいちゃんもおばあちゃんも」
 祖父は死んだ。窯から出てくる焼き物の、絶対的な裁定者であったはずの祖父が、炎に焼かれて砕け散ったのだ。消火活動の終わった翌朝、僕は何事もないように学校に向かい、平然と期末試験を受けていた。だが日常的に振舞えば振舞うほど、心を包む虚脱感は大きくなっていくばかりだった。
 ありえないのだ。焼き物を手に、あるものは砕き、あるものは作品として分ける裁定者自身が砕かれることなどあってはならないことだ。しかも、窯から出されて砕かれるのではなく、炎に包まれて消し炭になってしまうことなど。
 そして僕はテスト用紙に目を落す。この紙切れも僕を裁定し様としている。ただの紙切れの分際で今は亡き祖父のように僕を合格/不合格に裁定しようとしている。紙切れが、祖父の真似をしている。
 ――ふざけるな。紙切れの分際で。
 ――ふざけるな。僕を砕くことが出来るのは、ただ祖父だけだ。
 ――ふざけるな。お前のような存在など……
 破り捨てた。
 もう一度、
 さらにもう一度
 細切れになるまで
 「破片」になるまで。
 答案用紙よ、お前は不合格だ。

 心が軽くなるのを感じた。そうだ、もう祖父を恐れる必要などない。なぜなら今やあの金鎚を手にしているのは僕なのだから。
 机――ダメだ。こんなものはいらない。僕は机を閉めきられた窓から校庭に投げ捨てる。窓ガラスを突き破って机は落下してゆく。きらきらと光るガラス片をまといながら、落ちてゆく、堕ちてゆく。しかし、もはや僕にとってそれはどうでもいい事だ。砕いたものなど覚えておく必要すらない。
 窓枠に未だはまったままのガラス片を無造作につかむ。痛みと共に透明なガラス片に一筋の真紅が流れる。――おぉ、なんと美しいことか。僕は力任せにガラス片を枠から引き抜く。さらに赤い血のラインが増える。これだ。これこそが「作品」なのだ。教卓の真ん中にガラス片を突きたてる。さぁ、皆、これを見てくれ。偶然の産物として生み出されたガラス片の裏に表に、僕の生きた真っ赤な血が模様をなしている。裏の模様と表の模様が違うのが分かるだろう? ガラスという透明な素材だからこそ出来る。誇るべき美だ。そうは思わないか? そう思って教室を見渡してみる。しかし、誰一人としてこの繊細なる美が分かるものはいないらしい。ま、しかたがないさ。この僕でさえ、たった今まで分からなかったのだから。一見さんにはこのガラスの美しさなんて分かるわけがないよね。ほら、どうしたの? そんな教室の後に固まっていないで、もっと、近くで、このガラス片を見てみてよ。僕の作品第一号だ。「銘」はなんて付けよう。ゆっくりと考えて「銘」をつけよう。祖父の衣鉢を継いだこの僕が、この作品にふさわしい素敵な「銘」を。
 僕は、再び顔をあげた。作品第二号にとりかかるために。
 ねぇ、先生――あなたは試験監督でしょう? それが生徒と一緒になって、教室の後で震えているというのはどういう事ですか?
 祖父の金鎚を右手に、僕は――。



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