'eL-tneO 表紙'eL-tneO 図書館小説 ⇒ 『ピスティスの旅』その1


『ピスティスの旅』その1




 メイプルシロップをお湯で溶き、シナモンスティックをひとかけら。
 ラフィ総合施療院の院長ラフィの朝はいつも一杯のメイプルドリンクではじまる。
「くはぁ〜、あったまるねぇ」
 今年で42になるし、15になる娘がいるはずなのだが、どうもその口調からは子どもっぽさが抜けきれない。もっとも、本人はそんな事を気にしたことはないし、まわりも諦め切っている。まぁ、ラフィが先の"ゴシェン戦争"で疲弊しきった聖地の医療充実を一身に荷ってきた英雄なだけに、周囲が遠慮して何も口に出せない、というのが実情らしいのだが。
 自分の身長の四分の一はあるマグカップから口を離し、ラフィは大きく伸びをした。背中の透き通った羽根を力いっぱい広げ、ベッドからふわふわと浮き上がって、南に向けて開けられた嵌めごろしの大窓の前まで飛んで行く。窓の外には雲一つない青空。
「今日もいい天気だ〜」
そして嬉しそうに二度三度と頷き、ひらひらと広い部屋中を飛びまわった。広い、とはいったが、この部屋は決して非常に大きいという訳ではない。施療院に勤める他の一般職員の寝室と同じつくりの小部屋である。ただ、多くの種族の三分の一程度の身長しかないフェアリーである彼女に対して相対的に部屋が広く感じられるだけなのである。
 が、ラフィがそうやって朝の一時を楽しんでいるその時だった。
 とたたたたたたたた……と廊下を走る足音が聞こえてきたかと思うと、
  バンッ!
 大きな音を立てて院長寝室のドアが開け放たれた。
「どうしたの、マーナ?」
 駆け込んで来たのは血相を変えた犬人の小柄な女性。副院長のマーナである。茶色の髪を三つ編みに結い、施療院の制服の白衣を身にまとっている。そしてその右手には何か紙切れのような物が握られていた。
「たたたたた、大変です!」マーナは口角泡を飛ばしながら、持っていた紙切れをラフィにつきつける。
「どれどれ?」ラフィが受け取った紙にはこう記されていた。

 ――お母さん、マーナさん、ピスティスは旅に出ます。探さないで下さい――

「ど! どうしましょう!!」マーナはおろおろとせわしなく室内を歩き回る。
「う〜ん」それに対してのんびりとした様子のラフィ。
「大丈夫だと思うよ、マーナ」
「でもっ!」マーナは思わず叫び返した。
「あの子はまだ15歳なんですよ! それが一人旅だなんて!」
ラフィの一人娘ピスティスは今年15歳になったばかりである。ラフィの一番弟子のマーナにとって、ピスティスは産まれる前から一緒に育った妹のようなものなのだ。
「でもね、マーナ」ラフィはメイプルドリンクを口にしながらのんびりと応えた。
「マーナが旅に出たのは5歳の時でしょ?それに比べたら十分大人じゃないかな?」
「……」マーナはうつむいた。しばしの沈黙が二人の間に訪れる。
「でも……」沈黙に耐えられなくなって、マーナは口を開いた。
「ピスティスが心配じゃないんですか?」
「……心配に決まってるじゃない」ラフィはマグカップを抱いたまま静かに答えた。
「でもね、ピーちゃんが一人立ちしたいんだったら、喜んで祝福してあげるのも、お母さんの役目じゃないかな?」……いつも明るい彼女に似合わない、やや寂しげな表情。
そして、にこりと微笑む。
「さ、朝の回診に行くよ! 患者さんたちは、みんな私達を待ってるんだからね!」



「ったく、私がバカだったわよ! フェアリーを見る目がなかったわ!!」
聖地から大杉の森に向かう岩だらけの間道を、旅装束に身を包んだ一人のフェアリーの少女がふわふわと漂いすすんでいた。ラフィの一人娘、ピスティスである。ピスティスはひらひらと飛びながら眉間にしわを寄せ、何事かをぶつぶつとつぶやいていた。
「あんなのを好きになった事自体がそもそもの間違いだったのよ! なにさ! なにさ……」

 ――今からちょうど24時間ほど前。ピスティスは一人のフェアリーに、夜通しかけて書き上げた恋文を渡していた。相手は明るく、気さくで話の話題が豊富な、ある意味プレイボーイ的な青年だった。
 青年はピスティスの手紙を受け取ると、中の文面をゆっくりと読み始めた。ピスティスは自分の鼓動が早くなるのを感じた。――どうしよう、どうしよう?ダメって言われたら、ううん、いいって言われても、それからなんて言ったらいいのか分からない。やっぱり『好きです!』って言うのが基本だったのだろうか?手紙なんて、古風な女の子だと思われなければいいけれど……
「いや、あのさぁ」青年が困ったように言った。
「はいっ!」ピスティスはしゃちほこばって、思わず叫ぶように応えてしまった。――へ、返事はどっちなの?
「っつ〜かさぁ、迷惑なんだよね、こういうの」
 ――え?
「オレは普通のフェアリーの女の子となら付き合う気あるけどさぁ」
続く言葉がピスティスの心をえぐった。
「化け物を抱くほど、物好きじゃないんだよね」

「……私は、化け物じゃないのに……」それは消え入りそうな言葉。
 ピスティスは確かにフェアリーだった。他の種族の三分の一ほどしかない小さな体。背中に生えた透き通った美しい羽根。だが、その他の部分は、ずいぶんと普通のフェアリーと異なっていた。
 全身を被ったパール状に輝く銀色の鱗。爬虫類のような長いシッポ。手足の指にはカギヅメが生えている。ちょうど、竜人をフェアリーのサイズにまで縮めて、フェアリーと足して2で割ったらこんな感じになるのかもしれない、そんな容姿。
「ばか……ばかっ……最初からこうなる事なんてわかっていたのに……」
 ピスティスの頬を一粒の涙が転げ落ちた。我慢しようとして我慢しようとして溜めに溜めてきた涙がとうとう決壊してしまった、そんな涙。
 涙は後から後からぽろぽろとあふれてくる。それ以上前が見えなくなって、ピスティスは飛ぶのを止めて地面にしゃがみこんだ。

 幼い頃からピスティスは自分が他のフェアリーと違っている事には気がついていた。けれども、母の施療院で多種多様な種族の患者を見て育ったピスティスはその事をそれほど気にも止めていなかった。母、ラフィののびやかな教育方針もあったためかもしれない。
 けれども、歳を重ね、同じフェアリーの友人が増えるに連れて、自分が回りのみんなと異なることをピスティスは自覚せざるを得なくなった。
 母のラフィを含め、他のどのフェアリー達も皆一様に絹のように滑らかな肌をしていた。自分のような醜い鱗やシッポが生えているフェアリーなんて他にいなかった。
 ある日、一人の少年がピスティスをからかいながら言った。
「知ってるか〜?お前のカアちゃんはドラゴンとセックスしてお前を産んだんだぞ!大人達が言ってるんだからな」
別の少年が、同じくからかいながら言った。
「自分の身体よりデカイ、竜のチンポをはめて、ハァハァ言いながらテメェを作ったんだとよ」
「いや〜ん、大きい!裂けちゃうよ〜」
 侮蔑、嘲笑。
 ピスティスは怒りに我を忘れ、少年達を殴り倒していた。
 ピスティスの手には鋭いカギヅメがあった。少年達はみな信じられないような大怪我をし、事もあろうにピスティスの家であるラフィ総合施療院に担ぎ込まれた。
 母ラフィの悲しそうな顔がピスティスの心を締め付けた。
 ――苦い記憶。思い出さないように、記憶の底に沈めていた記憶。
「あはははは、バカだなぁ……本当にバカだなぁ」
ピスティスは間道の真中であお向けに寝転がり両腕で顔を隠しながら笑った。――こんちくしょう。全部まぶしすぎる太陽のせいだ。だからこんなに涙が出ちゃうんだ!

 どれほどそうしていたのだろう。ようやく涙の発作がおさまったピスティスは、のそりと面倒くさそうに上半身を起こした。
 いたたまれなくなって聖地を飛び出したものの、特に行く宛てがあるわけでもなかった。ただ、漠然と、大杉の森にでも行ってみようかと思っただけだった。大杉の森には竜人の村が点在している。フェアリーとして生きていけないなら竜人として生きていけないかな、短絡的ではあるがピスティスはそう思って間道を抜けて来たのだった。
 ピスティスが再び羽根を広げようとした時だった。
 馬のいななきと足音が聞こえてきた。自分以外の旅人かな?最初ピスティスはそう思った。
 だから岩陰から馬にまたがった一群の人々が現れた時も、ピスティスは何も気にしていなかった。彼らがピスティスを完全に取り囲むまでは。
「え?」
 異変に気がついた時にはすでに手遅れだった。一人がピスティスに向けて投網を打った。慌てて飛び上がろうとした時にはピスティスの頭上には荒縄の網が広がっていた。一瞬の衝撃。何が何だか分からないまま地面に叩き付けられる。必死に逃れようともがいた時には、すでに羽根や手足に網がきつく絡まっていた。

⇒つづく




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