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『1ヵ月だけの小説家』


 彼女が「妖精」であると気付いたのは、恥ずかしながらつい最近の事だったりする。唐突に彼女は僕のところに現れ、そして、唐突に去っていってしまった。彼女とは何年も一緒にいたような気もするし、ほんの一夜の出会いに過ぎなかったようにも思える。色々と話をしたようにも思えるが、僕がきちんと覚えている彼女の言葉は別れ際の
「もし、一ヶ月だけ願いをかなえてもらえるとしたら、貴方は何を願う?」
という一言だけだった。

 当時、僕は小説家になりたくて仕方がなかった。自分の内側に渦巻いている何かを他人に教えたい、そう思って、がむしゃらに筆をとっていた。若造に過ぎなく、人生の苦楽をなめたわけでもない僕の言葉は軽かった。それでも僕にとっては小説家になることだけが人生の全てでもあった。
 正直なことを話そう、人に自己紹介する際に「小説家です」と、照れたように、しかし一縷の自負心を込めて名乗ってみたかった。他人に「たいしたものだ」と思われたかった。
 「僕のうちにある何か」を表現したい、という言葉にも嘘は無いし、「他人に認められたい」というエゴもまた事実だった。
 だから、僕は彼女の問いに、一切のためらいもなく応えていた。
「小説家になりたい」
 彼女は可笑しそうに微笑むと、
「それは一ヶ月の間だけのことだからね?」と念を押し、そしていなくなってしまった。
 ――いや、いなくなったというのは間違っている。何故なら、彼女が念を押したその瞬間から、僕の頭の中に自分でも信じられないほどのインスピレーションがわき、あまりに多い情報量と感動に、僕にとって彼女のことなどどうでもよくなってしまったからだ。
 僕は慌ててパソコンを立ち上げると、思いついた――彼女に与えられた――アイディア、イメージをぶつけるようにタイプしはじめた。構想も構成も、情景も情感も、全て僕の想像を超えた、平たくいってしまえは、これまで誰も挑戦したことのない独創的な小説、おそらくノーベル文学賞受賞も夢ではないほどの名著が僕の手によって編まれていった。

 なんと人はおろかであるか、しかし、それゆえに美しいのもまた人間、否、全世界は美しいのだ。その美しい世界の中で様々な苦悩が存在する。そして、人間にとって他人は常に他人であり、互いの苦悩を理解しあえることは出来ない。相手に良かれと思ってした真心が相手を傷つけ、また、善行を為そうと思う心で、他者を苦しめる。生きることはリアルであり、人はたやすくその前に屈し、どこかで思考停止し、悟ったと思ったその次の瞬間には増上慢にとらわれる。神を必要とするのも人間なら、神がいては自分の世界観が壊れるため、何が何でも神を否定するのも人間。禁欲的であろうとするのも僕であれば、欲望と善悪をわかちて把らえたいのも自分……
 イメージは、次から次へと奔流のように押し寄せ、僕はひたすらタイプし続けていた。途中、誤字などの校正のため読み返す度、あまりの感動に咽び、自分が書いたはずの文章を客観的に眺めることすら出来ないほどだった。
 名作だった。筆は止まらなかった。冒頭、1人1人の主人公達の苦難と喜びを通して世界を描き、それを受けて関係性の中に生きる人間のしのびないほどの煩悶とその美しさを描き、クライマックスには……

 タイムアップだった。

 「妖精」との約束の1ヶ月が終わったのだった。
 僕の頭から、完璧な小説の構想はすでに消えうせていた。自分が何を書きたかったかすら、全く理解できなくなってしまっていた。部屋にあるのは文才の無い自分自身と、途中までのみ書き上げられた「ノーベル賞クラスの未完の大作」の前半部分だけだった。
 とりのこされた。
 そう思った僕は、あわてて「妖精」を探した。「妖精」に、もう1ヵ月だけあのイメージを与えて欲しかった。この素晴らしい作品をなんとか完結させたかった。
 「妖精」のいそうなところ、全てを探しまわった。……いや、探しまわろうとした。その段になって初めて僕は「妖精」のことを何も知らなかったことを思い知らされた。小説の構想同様、彼女について僕は何も知らなかったのだ。
 失意の内に、誰も待つもののいない自宅に帰り、明かりを灯すより早くPCの電源を入れるという、ここ1ヶ月間の習慣となってしまった動作を無意味に繰り返した。絶対的に絶望的に、決定的に欠陥的に変わってしまった僕に対し、PCは何事もないように立ち上がり、エディタソフトが開かれた。
 ただ無為の輩となった僕は、自分の筆によるものでありながら、自分の作品ではないこの小説をだらだらと読み返してみることしかできなかった。
 美しかった。悲しかった。のめりこんだ。悔しさに歯噛みした。すばらしいストーリー、ただし前半のみ。読者を引きこむだけ引きこみ、そしてその後どうなるか分からない部分で寸断された、未完の巨編。

 ――この続きを知りたい。

 それが最初に思った事だった。そしてその思いが

 ――この続きを書きたい。

 そう変わるのに時間は掛からなかった。

 何度も、前半部分を読み返した。PCのモニタからだけでは受け止めきれない部分もあるので、縦書き出力でプリントアウトし、糸で綴じ、すりきれるまで読みぬいた。
 考えに考えた。それまでの登場人物の輝くばかりの生き様から、今後の展開がどうなるかを必死に考えた。
 そしてキーボードに向かい、続きを書き始めた。何度もデリートし、書きなおしながら、まさに必死の想いで自分に考えられる続きを様々な形で書き繕った。
 書く文章はあまりに稚拙だった。優美な前半に続けるには余りにしのびない駄文にしかならなかった。それでも、僕は自分に出来る限界まで身を切り後半を搾り出した。
 やがて、後半の整合性を保つために、どうしても前半部分に小さな挿入を入れなければならなくなってしまった。最初は小さな伏線の挿入だったものが、次第に大きくなり、周囲の美文との整合性をとるために、完全な原稿である前半部分にも手を加え、書き直しをしなければならなくなってしまった。
 わかっていた。それは美作を駄作にかえてしまう愚かな行為であると。実際、ひとつところに手を加えれば、完璧であった文章はそれゆえに他の箇所の修正をも必要としてしまっていた。それでも、自分が納得のゆく作品に仕上げるためには手を入れる以外の道は無かった。
 美文はすでにずたずたになっていた。作品は、乏しい僕の実力のみを反映する駄作となっていた。
 それでも僕は書きつづけた。もとがノーベル文学賞クラスだから? ちがう。ただの意地? それも、違うような気がする。ただ、ひとつ分かっているのは、この作品を読み返しては書き、受けとめては応えること、それが自分の生きる戦い――負け戦だということだけだった。
 数年が経った。僕は静かに文章ファイルをセーブした。もはや、あの美文のかけらもなく、ただひたすらこの数年間の全てを懸けて、自分に出来る全てを出して出来あがった駄文をフロッピーに記録した。この数年間の自分の人生を保存した。
 そして、最初からあきらめつつ、新人小説大賞に応募した。――応募した瞬間に憑き物が落ちた。この作品だけに全てを懸けた自分の人生がおかしくてたまらなくなった。自分に才能が無いことは思い知らされた。ただ、苦悩しつづけた日々に意味はないわけではないと、そう思った。もう、小説家の真似事をしてモノを書くのはやめよう。そんな引退する無名のスポーツ選手のような感慨だけが、僕のリアリティだった。

 1年ほど経った。その間、僕はこれまで放置してきた日常を取り戻すため、必死でいた。アルバイトを探し、履歴書を何十枚と書き、そのほとんどが無駄に終わっていた。やっと転がり込んだコンビニの深夜勤は辛かったが、それでも両親からの仕送りに頼らずともある程度生活できる収入にはなった。
 そんなある日、僕はとある友人の激しいノックの音でたたき起こされた。何事か、と問う僕に友人は一冊の小説雑誌をつきつけ、しおりの挟んであるページを開いた。
 そこには新人賞の受賞作品が載せられていた。
 その中に僕の作品が混じっていた。
 僕は、震える手で雑誌を握りしめ、選評を見つめていた。
 「佳作:技術的にはまだまだの感が否めないが、大きなテーマに向かって作者が苦闘した痕が文中に散見され、その情熱がひしひしと伝わってくる力作。作者の次回作に期待。」

 気がつけば、友はすでに部屋を辞していた後だった。
 そして
 目を上げると

 僕の「妖精」が微笑んでいた。



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