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この物語は第一回クリスチャン漫画大賞で入選した『はらぺこ悪魔の物語』を、著作権を取り戻し、そのまま、コピー転載した作品です。この作品を広く伝えるために、そのような措置を取らせて下さった、新生宣教団の相馬さんに深く感謝の念を表します。 さて、この作品は2000年1月31日に産声を上げました。 もっとも、この作品自体の構想はかなり前から練られていたもので、私が大学生の頃に、大まかなあらすじは完成していました。しかし、生来の不精癖から、作品化するのに第一回クリスチャン漫画大賞を待つこととなりました。 この物語のベースには「食卓」と「エサ」という二つの言葉があります。肉体を維持するために栄養分を補給する活動を総称して「エサを食う」といいます。しかし「食卓を囲む」というのはそれとは全く別次元のことなのです。 食卓には団らんがあります。家族という最小ソサエティの場において、生き生きとした対話があり、お互いの現状を確かめ合う、笑顔と、喜びにあふれた空間が「食卓」にはあるのです。 私は、大学生が下宿先で孤独に摂取する「エサ」を、また、家族の時間が合わずにバラバラにとる現代家庭の朝夕食という現場をみて、そうではないんだよ、そう思いました。分かち合う食卓の豊かさに比べて飢えを満たすためだけのエサの摂取がいかに醜く、また、ゆがんでいるのか、そういう思いが根底にありました。 だから悪魔ははらぺこなのです。 この物語は、また、悪魔の改心というモティーフを扱っています。現代人のクリスチャンでない人間に、『聖書の登場人物で誰が一番共感を感じられたか?』そう尋ねると、かなり多くのひとが応えます、「イスカリオテのユダ」と。 現代は建前が死に、憂鬱な時間がただ延々と続く、その多様性のゆえに価値観が消滅してしまい、ネガティブな現実感だけが突出してしまった時代でもあります。おためごかしの美談には拒絶反応を示すものの、実は、信じたくても信じられない、光を信じられず闇の中にうずもれることで安住する、そんな時代精神に支配された時代でもあると思うのです。 だから、私は主人公を悪魔に設定し、闇の中の改心をどこまでも追及してみたいと思いました。 しかし、このように悪魔を主人公にしたことにより、面白い事にキリスト教界ではこの作品はこっぴどくこき下ろされました。悪魔が天使になるということは悪の存在そのものを希薄化する、そう言われて、東京神学大学や、いのちのことば社、新生宣教団などではずいぶんと、批判を頂きました。ところが逆にキリスト教社会を離れると、この作品は「物語として」意外と評価されました。牧師として少々気になる展開です。 どうか、あなたのココロがはらぺこではないことを祈って、そして、はらぺこ天使があなたと共に食卓を囲むことを祈りながら、あとがきに変えさせて頂きます。 | あとがき ![]()
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